私の心が壊れるまで ―出向が決まった日―

今振り返ると、出向の人材として選ばれたのは、
突然の不運というわけでもなかったのだと思います。

それまでの私のキャリアや、
職場の人員の状況を考えれば、
配置される流れはある意味で自然だったのかもしれません。


私は大学卒業後、就職しました。
配属されたのは、これからも仕事がずっとある、
と言われていた部署でした。

そこで、恩師となる上司(=海外上司)と出会います。

業務は大変なこともありましたが、
「頑張って成長したい」
「海外上司の力になりたい」
そんな気持ちで働いていました。

人間関係にも恵まれ、
周囲にもとてもかわいがってもらっていました。

当時は、仕事をいただけている、という嬉しさが強く、
まだまだ下っ端だった私は、
仕事が力関係や役割(駒)で動くものだということを、
深く理解していたわけではありませんでした。


少し仕事に慣れてきたころ、状況が変わります。

所属していた部署が、吸収される形で別部署との合併が決まります。
そこで新たに三人の上司と、関わることになりました。

そのうちの一人である部長(=押付部長)の
振る舞いや発言に違和感を覚え始めたのは、
出向の話が出てからのことでした。

合併から数か月後、
私は出向の打診を受けます。

理由は、
すでに出向していた先輩の体調(持病)の悪化で、
その代わりを探している、というものでした。

海外上司、合併前からの上司、押付部長を交えて、
話をした記憶があります。

出向の経緯や期間などの説明を受けましたが、
どれも曖昧で、ぼんやりとしたものでした。

私はいくつか質問をしました。

なぜ私が選ばれたのか。
「明るいから」

出向の期間はどれくらいか。
「一人前になるまで」

開始時期はいつか。
「2か月後から」

終電の関係で遅くまで残れないことは問題ないか。
「タクシーを使って帰ってもらって構わない」

他にもいくつか質問しましたが、
納得できる回答はほとんどありませんでした。

質問したのは、
決してごねるためではありません。

自分に何が求められているのか。
行く以上は、期待に応えたい。

それだけでした。

ただ、私の思いとは裏腹に、
「もういい?」、「次あるんだけど」。
話を切り上げようとする空気が流れ、
とにかく「わかりました」と言わせて終わらせたい、
そんな雰囲気でした。

その後、押付部長を除いた三人で話をしました。

「本当に申し訳ないけど、行ってほしい」
「状況を見ても、君しかいなかった」
「何かあったら言ってくれたらいいから」

その言葉を、私は信じるしかありませんでした。

この二人の上司には、
入社してからずっとよくしてもらっていました。

だからこそ、
「断る」という選択肢は、
正直なところ最初からありませんでした。

私は出向を承諾しました。


出向の打診を受けてから2、3日後。
本来出向していたはずの先輩が、
私の所属している部署に戻ってきていました。

そのとき先輩から、
出向先の話を聞きました。

常に重たい空気があること。
深夜まで残ることも珍しくないこと。
納期は分単位で進むこと。

とても良い環境とは言えない、ということでした。

行く前から、
心身ともにきつい部署(=修羅部署)だという情報は、
少しずつ集まり始めていました。

そしてもう一つ。

出向先の責任者と関わった人が、
何人も精神的に壊れてしまった、
という話も聞きました。

先輩はもともとの持病が悪化したのではなく、
原因は出向先での精神的に追い詰められたと、
この時初めて知りました。


その日の午後、
私は押付部長に呼ばれます。

「やっぱり来週から行って」

今抱えている業務があることを伝えると、
返ってきた言葉は、

「そんなのいいから、とにかく行って」

あのときの説明は、
いきなり覆されることになりました。

そのとき、私は違和感を覚えました。

ただ、後になって思うと、
それは違和感ではなく、
これから起こることの“予兆”だったのだと思います。

まともな引き継ぎも、出向の準備もできないまま、
私は翌週から修羅部署へ向かうことになりました。


このときの私は、
納得できない点があっても断れず、
不安があっても引き受け、
「自分が頑張れば何とかなる」と考えていました。

意見を言えば怒られ、
反論すれば状況が悪くなる。

相手の顔色をうかがい、
波風を立てないようにする。

断ったら居場所がなくなる。
そんな感覚が、どこかにありました。

それは、子ども時代から身についた
私なりの生き方だったのだと思います。