今でも、ときどき、
自分の存在とは何なのだろう、と考えてしまうことがあります。
心が壊れたあの瞬間から、10年以上が経ちました。
時間がたてば、少しずつ折り合いがついていくのだろうと、
どこかで思っていました。
けれど実際には、想像していた以上に、
長く、静かな苦しさが、続いています。
今もなお、心の不調に対して、
世間の見方は決してやさしいものではない、と感じています。
根性が足りない、甘えている、なにかおかしい人なのではないか、
そうした言葉や視線を、これまで何度も感じてきました。
誰にでも簡単に相談できるわけではありません。
話したところで理解されないかもしれない、
かえって距離を置かれてしまうかもしれない。
そう思うと、言葉を飲み込んでしまうこともあります。
黙っている方が、まだ自分を守れると感じることもありました。
それでも、私と同じような状況で生きている人は、
きっとどこかにいるのではないかと思っています。
周りに悟られないように、
声を上げず、
人と同じように働きながら、
日々をやり過ごし、生活を続けている人たちです。
このブログを始めようと思ったのは、
何かを教えたいからでも、
前向きな答えを示したいからでもありません。
かといって、自分自身を苦しめてきた過去の出来事や、
誰かを責めたいわけでもありません。
それらを少しずつ整理していきたいと思ったからです。
その中で、同じ場所で立ち止まりながらも生きている人が、
ここにもいると伝えられたらいい、と思いました。
今でも、すべてが元に戻ったわけではありません。
あの瞬間から今日まで、
過去と切り離すことができないまま、
その影を抱えながら生活しています。
終わった出来事として整理できるものではなく、
今日のことは、また明日の自分に引き継がれていきます。
ふとした瞬間に思考が止まってしまったり、
自分の存在について考え込んでしまう日もあります。
それでも、生活は続いていきます。
整っていないまま、迷いを抱えたままですが、
今日という一日を、生きています。
そんな今の感覚も含めて、
このブログを「それでも今日を生きている」という名前にしました。
過去と切り離せないままでも、思うように進めなくても、
それでも今日を生きている。
そのままの今を残していけたらと思っています。