私の心が壊れるまで ―あの日のこと②―

年に2回、賞与前に面談がありました。
出向前に所属していた部署(=元部署)の課長(=保身課長)との面談です。
査定の話自体は15分ほどで終わり、
残りの時間は「最近どう?」という言葉から始まります。

出向して1年目は、大変だと感じることはありましたが、
「慣れないことも多いですが、自分としてやれることに取り組んでいます」
「大変ではありますが、なんとかやっています」
といった程度の話にとどめていました。

もともと重たい空気が苦手で、話の最後に少し笑ってしまう癖もあり、
返ってくるのは「そうか~」といった軽いものでした。

2年目以降になると、私の話す内容も変わっていきました。

「いつ帰れますか」
「結構つらいです」
「気持ち的にもしんどいです」

そう伝えても、

「代わりがいないからな~」
「部長(=押付部長)に一応話してみるわ~」

といった形で、話はそのまま終わることがほとんどでした。

機会があれば、代わりの人員についての相談をしていましたが、
保身課長や押付部長から何か具体的な話がされることはありませんでした。
こちらからお願いするばかりで、それに対する返答や動きがあるようには感じられませんでした。


これとは別に、年に1回、押付部長との面談もありました。
1年の業務について報告する場で、時間は1時間ほどでした。

最初の15分ほどで業務報告を終え、
残りの時間は同じように「最近どう?」という流れになります。

1年目は、タクシーの件など、理不尽と感じることもありましたが、
強く言うことができない私は、
「大変です」程度の話にとどめていました。

ただ2年目以降は、

「いつ帰れますか」
「バックアップの体制をお願いできませんか」
「気持ち的にもあまりよくなくて」

と、少し踏み込んで伝えるようになりました。

それに対して返ってくるのは、

「いつだろうな。わからない。まあ一人前になってから言って」
「代わりがいないし、自分たちで調整してうまいことやって」

といった言葉でした。

そして、話の都合が悪くなると、

「趣味はないの?」

と、話題を変えられてしまい、解決に向けて進むことはありませんでした。


3年目の面談のことは、よく覚えています。

この頃になると仕事にも慣れてきていたこともあり、
新しく依頼を受けるようになった業務について報告しました。

しかし、その内容を見た押付部長は、

「なんだこれは。書き直せ!」

そう言って、机の上の紙を払いのけました。

これまでの報告の方法と変えたつもりはなく、
なぜそのように言われたのか、よくわかりません。

自分なりに取り組み、新しく受けるようになった業務でしたが、
それに対して何か評価されるような言葉はありませんでした。
ただ怒鳴られただけでした。

もう無理だ

張り詰めていたものが切れたように感じました。

「すみません、いつ帰れますか。もう体調も気持ちもしんどくて。」

そう伝えました。ですが、返ってきたのは、

「社会人というのは、誰だってストレス抱えて働いているんだ!」

という言葉でした。強い口調で言われました。

言い返すことはできませんでした。

「そうですね、すみません。自分が悪かったです。」

そのあとは、何を言われても「はい」としか言えませんでした。


そしてこの3か月後、
私は会社に行けなくなりました。


この面談の場に限らず、押付部長からは、
冗談として受け取ることが難しい言葉をかけられることも多々ありました。

そうしたやり取りに対して、気分がよくないと感じることはありましたが、
上の立場の人に対して強く言うことができない私は、
何も言い返せず、ただ笑って受け流すことしかできませんでした。