0ー100思考、白か黒、完璧主義すぎる。
しばしば周りから言われます。
ただ、意識してそうしているわけではありません。
そうなるに至ったと思うことを、話したいと思います。
習い事の野球
小学生のころ、野球をしていました。
守備はそれなり。
バッティングは、少し苦手でした。
父はいつも仕事で、試合を見に来ることはありませんでした。
ある日、仕事の合間に時間ができたと、父が試合を見に来ました。
それだけで、嬉しい反面、少し背筋の伸びる思いでした。
いいところを見せたい、そう思って、打席に立ちました。
相手の守備にも助けられ、ランニングホームランになりました。
もちろん、父はそれを見ていました。
いい結果を出せて、胸の奥が、少し熱くなりました。
でもその一方で、自信のあった守備でエラーをしました。
その瞬間は「やってしまった」とチームに対して申し訳ない気持ちでした。
ただ、点が入ったり、負けにつながったわけでもありません。
試合も終わり、監督やチームメイトのお父さんたちが
「お父さんに、いいとこ見てもらえてよかったね」と声をかけてくれました。
試合にも勝てたし、すごく嬉しかった。
その夜、父が仕事から帰ってきました。
私は、きっと褒めてもらえると思っていました。
けれど、父の口から出たのは、エラーのことばかりでした。
何を言われたのかは覚えていません。
ただ、エラーについての話が続いたことだけは覚えています。
そして最後まで、ホームランのことに、ふれることはありませんでした。
もちろんエラーはよくないし、反省もしています。
なのでエラーのことを言われるのに、反発の気持ちはありません。
ただ一言、ホームランのことを褒めてほしかった。
そのとき、うまく言葉にはできなかったけれど、
何かが静かに心に残りました。
どれだけ打っても、
ひとつでもミスやエラーがあれば、意味がなくなるのだと。
学校の勉強
この感覚は、野球だけではありませんでした。
勉強においても、飛び抜けてできるわけではない。
でも、まったくできないわけでもない。
テストは、だいたい80点前後でした。
悪くはない。
けれど、100点でもない。
だから、褒められることはありませんでした。
その代わり、50点、60点のような点を取れば、はっきりと怒られる。
それなりは、所詮、それなりで、
完璧に近くなければ、褒められない。
いつの間にか私は、
ものごとを減点方式で見るようになっていました。
頑張りそのものには意味がなく、結果がすべて。
さらにその結果が良いものでも、ミスがあれば、意味がない。
できたか、できなかったか。
完璧でなければ、認めてもらえない。
だから、できたことや、頑張った自分には目が向かず、
ミスをした自分ばかりを見て、責めてしまう。
周りからは完璧主義だと言われます。
でも、「完璧」にしたいわけではないのだと、最近気づき始めました。
完璧なんて、どこまでいっても終わりがないことはわかっています。
ただ、怒られないように。
ダメな自分だと思わないで済むように。
自分を守るために、
「完璧」を手段にしている。
それでも、今も完璧を求めてしまう。
「完璧」だけが、外からも中からも
自分を守れる唯一の手段だと、今でも心のどこかで思っています。