再び迎える限界―過酷プロジェクト―

本命プロジェクトに戻れないまま、
私は別チームのプロジェクト(=過酷プロジェクト)へ
移ることになりました。


過酷プロジェクトに移った初日、状況がよくないことは分かりました。
大変なところに来てしまった、そう思いました。

何ができていて、何ができていないのかを確認できるものもなく、
私は何をすればよいのか、分からない状態でした。

過酷プロジェクトの社内担当者に確認しても、
詳しい説明や現在の状況を説明してもらえることはありませんでした。

本来であれば、状況を見て判断し、
自分のすべきことを考えるものであることはわかっています。
ですが、この時は状況そのものが分かりません。

とは言いつつも、何かしなければいけません。
業務を進めるために、何をすればよいかの指示を仰ぐしかありませんでしたが、

「これしておいて」

そう言われるだけで、詳しい内容まで教えてはもらえません。
指示を受けても、何をどうしたらいいのか分からないことがほとんどでした。


過酷プロジェクトは、私自身が経験のほとんどない業務内容だったこともあり、
わからないことはその都度、確認しながら進めるしかありませんでした。

当然ですが、思うように進みません。
それでもようやくできたと思い、社内担当者に提出しますが、
内容を確認するという感じはなく、

「取引先へ送っておいて」

そう言われるだけでした。

本当にこれでいいのか、その思いはありましたが、
言われた通り、送りました。

送った直後、取引先の担当者から電話がかかってきました。

電話に出ると一言目が、

「これ何?」でした。

続けて、

「これどうしたいの?」

「というか、あなた何年目?」

そう言われました。

私は、謝ることしかできませんでした。

ですが業務を進めないといけないので、どのようにすればよいかを聞きますが、
具体的なことについての指示はありませんでした。

むしろ、業務の内容に関係のない、

「何がしたいの?」

「これ何?」

「何年目?」

「今まで何してたの?」

「今までよく仕事できてたね」

同じようなことを言われ続けました。
時間にして数十分だったと思いますが、とても長い時間に感じました。


作成した資料を送った時だけではなく、
問い合わせのメールをしても、電話がかかってきます。

「何が言いたいの?」

「これに返答してどうなるの?」

それらに対する具体的な返答は、ほとんどありませんでした。

電話は一日一回ではなく、3回、4回とかかってくることもありました。
そして、これがほぼ毎日のように続きました。

社内担当者に相談しても、何も変わりませんでした。

そんなことがあったにも関わらず、
その後の仕事の指示についても、これまでと同様に詳しい説明はされません。

分からないからと言って適当に進めるわけにはいかないので、
都度確認しながら進める。

そうすることくらいしか自分にはできませんでした。


過酷プロジェクトに移ってから日は経ちますが、状況は変わりませんでした。
的確な指示をもらえることも、思うように仕事をすることもできなくて、

自分のしていることは正しいのか、
これをしていていいのか、
これをしていて合ってるのか。

自分は何をしているのだろうか、次第に分からなくなっていきました。

電話もメールも、日に日に怖くなっていきました。

誰からの電話かに関係なく、電話が鳴れば、また何か言われるのではないか。
メールが来れば、また何か書かれているのではないか。
そんな感覚が強くなっていきました。

この取引先の担当者は、修羅部署にいた時に一緒に仕事をしていた人でした。
当時は優しい人でした。
その後、修羅部署を離れたと聞いていましたが、
以前とは人がまるで変わってしまったかのように感じました。


また、「何年目?」という言葉は、自分には辛い一言でした。

私はこれまで、会社の都合でいくつもの部署やプロジェクトを
経験してきました。
その都度、必要な業務を覚えながら対応してきました。

ですが、一つの業務を継続して経験し、
知識や経験を積み重ねてきた人とは違いました。
本来、この業務で必要な知識や経験が少ないことは、
自分の中で気にしている部分でした。

後輩の方が、その業務についての知識や経験があり、バリバリと仕事をこなしていました。
だからこそ、「何年目?」という言葉を聞いた時に、

「自分は人並以下なんだ。ダメなんだ。」

そう思ってしまいました。

自分は仕事ができない。
だから自分には価値がない。
そんなところまで考えるようになり、自分で自分を責めるようになっていきました。