再び迎える限界―それでも働く日々―

過酷プロジェクトに移ってから2、3週間が過ぎる頃には、
体調はさらに悪くなっていました。

ですが、当時の私は自分がどれだけ追い込まれているのか、
そこに意識を向ける余裕はありませんでした。

「また電話がかかってくるのではないか」
「また今日も何か言われるのではないか」

そんなことばかりを考えていました。


それまでは月に一度の通院でしたが、
自分でも症状が悪くなっていることを感じていたため、
2週間に一度のペースで通院するようになりました。

飲酒についても、いけないことだとは分かっていながらも、
やめることはできませんでした。

先生から飲酒について言われることはありませんでした。
そのため、当時の私は飲酒について深刻に考えていなかった部分も
あったと思います。

ですが、仮に言われていたとしてもやめることはできなかったと思います。
それくらい、当時の自分にとってお酒は、
つらい状況を少しでも忘れるために必要なものになっていました。

夜も寝付きが悪く、ようやく眠れても朝方に目が覚めてしまいます。
一度目が覚めると、
「また仕事が始まる、どうしよう」
そう考えれば考えるほど不安になり寝ることができず、
そのまま数時間経っていることが当たり前でした。


それでも会社では、それを悟られないようにしていました。
出向先だった修羅部署で限界を迎えた前回、多くの人に迷惑をかけてしまいました。
出向先から帰してもらい、海外上司にも助けてもらいました。

そのことがずっと頭から離れず、
「もう二度と迷惑はかけられない」
「もう二度目はない」という思いが強くありました。

当時は季節的にもマスクをしていて不自然ではなかったため、
会社ではずっとマスクをつけていました。
表情を見られたくなかったからです。

今思えば、マスクの下では髭が伸び、
身だしなみにまで気を遣う気力もなくなっていたのだと思います。

ですが身体に症状は確実に出ていました。

動悸がする。
急に身体が熱くなり、変な汗が出る。
目の前が真っ白になるような感覚。
手足末端のしびれ。
ひどいときは、半身がしびれることもありました。


そんな状態でも会社は休まず出社していました。
朝は何とか会社へ行くことができます。
「休んだら迷惑がかかる」そんな思いが体を動かしていました。
ですが、仕事が終わる頃に気力は残っていませんでした。

何か考えようとしても頭の中には何もでてこない、そんな感じでした。
会社から帰ることすら、考える余裕がなくなっていて、
妻に会社まで迎えに来てもらうようになりました。

最初は毎日ではなかったものの、気が付けば毎日になっていました。

帰り道はコンビニに寄ってもらい、お酒を買います。
「一刻も早くこの状況から逃れたい」
家まで待つことができず、迎えに来てもらった車の中で飲んでいました。

家についても、ご飯をまともに食べることもなくなっていました。
食欲というものが、ありませんでした。
ご飯を食べるということすらも、考えることができなかったのかもしれません。

心身の疲労とお酒で眠くなりますが、
それでも「また明日が始まる」という怖さは消えませんでした。

心も身体も、アクセルとブレーキを同時に踏み続けている、
そんな状態だったのだと思います。


そんな状況の中、一番印象に残っている出来事があります。

朝、駅の改札を通ってホームに向かって歩いているとき、電車が到着しました。
降りてきた人たちが私の方へ向かって歩いてきます。

私はその中を歩いているはずなのに、
自分だけが少し浮いていて立ち止まっているような、
不思議な感覚になりました。

周りの人には私が見えていないかのように感じました。
実際には避けて歩いてくれていたと思いますが。

ドラマで、スクランブル交差点の中で自分だけが取り残され、
周りの人だけが流れていくような場面がありますが、
それに近い感覚というのがわかりやすいかと思います。

後にも先にも、このような感覚になったのはこの一度だけです。

さすがにこの日は体調が悪く、午前中で仕事を早退して病院へ行きました。
先生にこの出来事を話すと、

「もう診断書を書きますから。これ以上無理しないでください。」

そう言われました。

ですが、私は、
「大丈夫です。」そう言って断りました。

もう二度目はない。
また迷惑をかけるわけにはいかない。
その思いが、とても強かったのだと思います。

「本当に無理しないでください。」

そう言われ、診察室を出ました。