心が壊れた後のこと ―平日(仕事)からの切替え―

出向先(=修羅部署)にいた頃とは違って、
週末に少し仕事を忘れられる時間がありました。

「あと少し頑張れば週末だ」

そんなふうに思いながら平日を過ごしていた気がします。

修羅部署から帰ってきて、少しだけ気持ちにも余裕ができていたと思います。
だからこそ、週末に外へ出たり、何かをしようと思えていたのかもしれません。


ボウリング

たまたま行ったことをきっかけに没頭していました。

倒すピンを、自分を苦しめるものに置き換えて、
それが勢いよくはじけ飛ぶ様子に、少しスカッとした感覚を覚えていました。

もともと誰かと仲良くなるためとかではなく、
ストレス発散が目的だったので、
最初は一人で行って、一人で投げていました。

ただ、毎週来る人はだいたい同じで、
通っているうちに自然と顔を覚えられていきました。
声をかけてもらうようになり、
いつものメンバーのような空気が出ていました。

一緒のレーンで投げるようになって、
ストライクやスペアを取ると、軽くタッチをする。
そんな距離感でした。

誰かを強く否定したり、卑下したりするような空気もなくて、
そこにいる時間は、少し気が楽だった気がします。


ボウリングに没頭した理由のもう一つに、
結果がすぐに出ることにあったと思います。

仕事は、「何が正解だったのか」が分からないまま、
そのプロジェクトが終わるまで、ずっと頭に残り続けていました。

本当にこれでよかったのか。
何か間違っていたんじゃないか。

そんなことが、頭の中にずっとありました。

でも、ボウリングは違いました。

倒れたか、倒れなかったか。
スコアとして結果が出ます。

突き詰めればそんな単純ではないと思いますが、
少なくとも、自分の中で区切りをつけることができました。

少しずつ上達もしていき、
周りの人から「上手いですね」と声をかけてもらえることもありました。

褒めてもらえることに嬉しさを感じていました。

ボウリングですので、スコアで勝ち負けが出ます。
ただ、勝ち負けそのものに、
強いこだわりがあったわけではないように思います。

社会人の自分とは別の場所で、
自分を認めてもらえているような感覚。
この場所に心地よさを感じていたのだと思います。


気づけば、週末にボウリングへ行くことが、
自分の生活の一部になっていました。

平日は仕事をして、週末になるとボウリングへ行く。
週の後半になると、「あと少し頑張れば週末だ」と思っていました。

趣味というより、
平日を乗り切るための目標と、自分の居場所、
そんな感覚だったのかもしれません。

ただ、1年以上、毎週のように通っていたこともあってか、
途中で手首を痛めました。

思うように投げられなくなってからは、足が遠のいていきました。

今思えば、自分はボウリングそのものというより、
あの空気の中にいたかったのだと思います。

社会人という役を少し降りて、素の自分でいられる場所。
そして、その自分を少し認めてもらえているような場所でした。

だから、思うようにできなくなった時、
もう居場所がないような気がして、
行くこと自体がおっくうになってしまったのかもしれません。


競馬

その後は、入れ替わるように馬券を買うようになりました。

もともと子どもの頃から競馬ゲームは好きで、
テレビでレースを見ることもありました。
大人になって少し馬券を買った時期もありましたが、
しばらく離れていました。

それが、競馬場へ誘われたことをきっかけに、
また競馬をするようになりました。

週末ずっとではありませんが、その週の大きなレースを買う。
そんな過ごし方でした。


競馬も、結果がすぐに出ます。

予想が当たったのか、外れたのか。
曖昧に残らないところに惹かれていたのかもしれません。

ただ、日曜日のレースが終わると、急に現実に戻される感覚がありました。

特に外れた時は、次の日からまた仕事が始まることも重なって、
何とも言えない虚しさが残りました。

ボウリングは納得のいくゲームができた、という区切りができますが、
馬券は外れると、外れたモヤモヤのまままた平日をむかえます。

なので、「サザエさん症候群」なんて言葉がありますが、
それにプラスして外れた悲しさ、といった感覚が近いように思います。

ただ、それでも修羅部署にいた頃よりはマシでした。

修羅部署にいた頃は、日曜日の夕方どころか、
土曜日の昼が終わると、

「もう休みが終わる」

という感覚がかなり強くなっていました。

今振り返ると、それだけ仕事に気持ちを引っ張られていたのだと思います。


当時の自分は、何かを純粋に楽しみたかったというより、
仕事を忘れられるものを探していたのかもしれません。

結果が分かりやすくて、少し認めてもらえて、
週末までの目標になるもの。

そういうものに支えられながら、
当時の自分は毎日を過ごしていたのだと思います。