心が壊れた後のこと ―普通に働けていた頃―

予定通り1か月の再出向(=修羅部署)から帰ってきました。
以前のように心を壊すこともなく、無事に戻ることができました。

戻った後も、再出向前からのプロジェクト(=成長プロジェクト)に引き続き携わりました。


戻って間もなくして、
この仕事のメインとなる部分の業務を任せてもらえることになりました。

このとき、入社してそれなりの年月が経っていました。

これまでも少しは関わったことがあるものの、
自分が担当として任されたのは初めてでした。

この業務にひかれ、この部署を希望しました。

もちろん簡単な業務ではありませんし、
考えることも多く、難しさもありました。

それでも不思議と考える時間を苦痛と感じることはなく、
難しいゲームをクリアしていく、そんな感覚でした。

悩みながらも解決していく、そんな日々は充実していました。

今考えると、メイン業務の中での重要度は、
そこまで高いものではありませんでした。

それでも任せてもらえたことが嬉しくて、
もっとできるようになりたい、という気持ちは常にありました。


この成長プロジェクトは途中からでしたが、
最後まで携わることができました。

成長プロジェクトは、人生で三本指に入る仕事になりました。

当時は目の前の仕事に必死でしたが、
今の仕事で活きている考え方や進め方の多くは、
この頃に自然と身についたものでした。

当時の私は、そんなことを考えていたわけではありません。
真摯に向き合い、もっとできるようになりたい。
そんな気持ちで仕事をしていた結果だと思います。


この頃は病院にも通っておらず、普通に生活を送っていました。

普通に働けていたこともあって、
自分では完全に元通りに回復しているようにさえ感じていました。

飲酒もしていましたが、修羅部署にいた頃のように、
飲まないと眠れないという状態ではありませんでした。

どちらかと言えば、家に帰っても仕事のことを考えてしまう自分を、
無理やりオフにするために飲んでいたように思います。
缶ビールを開ける音が、切替の合図だったように思います。

間違っていたらどうしようではなく、
どうやったらうまくいくだろうか、
こうしたらもっと良くなるのではないか、
そんなことを考えていました。

仕事量も少なかったわけではありません。
任せてもらえることも増えて、大変だったと思います。

ですが、さっきも書いたように、日々が充実していて、
修羅部署にいた頃とは仕事に対する向き合い方は違っていたと思います。


こうして当時のことを思い出そうとしたとき、
不思議なことがあります。

修羅部署にいた頃のことは、今でも細かいことをよく覚えています。

仕事の内容に対してではなく、
誰に何を言われたか、
その時どんなことを考えていたか、

少し思い出すだけで、当時の記憶がまじまじとよみがえります。

一方で、この成長プロジェクトの頃のことは、
意外と細かい記憶があまりありません。

もちろん覚えている出来事はあります。
ですが、修羅部署の頃のような鮮明さはありません。

その代わり、この頃に身についた考え方や仕事の進め方は、
今でも自然と自分の中に残っています。

修羅部署にいた頃は仕事をしていたというより、
いかにして自分自身を守るか、そのことに必死だったように思います。

何か言われないか、
周りからどう見られているか、
常に外からの目を気にしていました。

だからなのか、当時の出来事や感情は今でもよく覚えています。

成長プロジェクトでは、仕事そのものに向き合えていました。

もっとできるようになりたい、
そんな気持ちが強かったです。

外からの評価ではなく、自分自身の中から出てくる気持ちが、
原動力になっていたように思います。

同じように仕事のことを考えていても、
その中身はまったく違っていたように思います。


環境や誰と仕事をするか、
自分の一存で決められるものではありません。
ですが、それは非常に大きな要素だと感じています。

私の場合、その中心にいたのが、
海外上司(後に海外赴任する日本人の上司)でした。